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健康法体験談

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精巣がん体験 佐藤一(仮名)さん

① 「肺ガンを克服」 岐阜県養老町 木村 三嗣さん 62歳

伝説で有名な養老の滝がある町の方で、肺ガンをこの健康法で克服された男性木村さんに、今日に至るまでの経過を話していただいた内容を紹介します。

私は農家の長男として生まれ、家業を継ぎ椎茸栽培を主とした農業に従事しております。両親は三年前の暮れ、時期を同じにして他界したのですが、それまでの母の痴呆と寝ついた父の世話は言葉に言い表せないぐらいたいへんだった。仕事の合間をぬって両親の食事そして身の回りの世話をしながらの生活は不規則で、いつ何があるか分からない不安が精神的にも肉体的にも負担となり体に変調を来すようになりました。両親が他界した翌年には咳と痰が激しく出て、まるでぜんそく患者のひどい症状が続きました。十月には保健所の定期レントゲン検診で「異常あり、再検査をしてください」と言われ二度目のレントゲンを撮りましたところ、胸に白いものが写っているのが確認され、私も含めそのときに二度目の再検査をした二十人前後の人は病院で精密検査を受ける事になりました。一ヶ月近くも入院しているのに、病院ではなかなか進まない検査に「先生、もっと早よう検査できんのか」と言ってしまい、それからは肺に管を入れて覗いたり、胸の上から針みたいなものを刺して細胞をとったりして、苦痛な検査を何度か受けました。

丁度その頃、見舞いに来てくれた古い友人からこの健康会のことを知り、ぜひ一度行ってみたいと思った。しかし自分ではおそらくガンだろうとは感じていたが、まだはっきりそうだとは聞いていなかったので、主治医の先生に「先生、検査の結果を聞かしてくれ。はっきりガンならガンと言ってくれ。」と問うたところ、先生は私の肩に手を置きながら「木村さん、実は肺ガンや。この病気は百パーセント手術せんと治らん。手術は早ければ早い方が良い。手遅れになる前に手術をしましょう。」と言った。

冷静だったはずの私もその時だけは一瞬目の前が真っ暗になり、『俺の命も長くて三年か』と思いました。と言うのが私の知っている人達がガンで手術をして又再発し、又手術をしてそして死んで帰って来るのを何人も見てきたからです。『何とか切らずに助かる方法はないか』と考え健康会に相談にゆくことに決めました。その日は金曜日だったので外出届を病院に出して一時自宅に戻り、翌日妻と友人の車で健康会に行き先生のお話を聞くことになりました。

「ご相談は奥の部屋で受けますので中に入って下さい。ここは病院とは違いますので奥さんもご一緒にどうぞ。」と言われ中に案内されました。先生の質問は「食事は何が好きか。」「普段汗はよく出るか。」などと、『こんなこと聞いて病気が治るのかなぁ。』と最初は思っていましたが、体の中の毒素の事や、病気になった原因の話を聞いているうちに私にもよく理解できて『これだ!』とその時思いました。

椎茸作りは日の当たらない所で栽培しなければ椎茸が育たない。夏も涼しくしなければいけないので、年中私は椎茸作りに適温の涼しい所で仕事をし、流れるような汗をかいたことが無かった。汗が出ない割りには肉食が好きで、たくさん食べていた。夕食前に酒のさかなに、するめイカを一匹食べる位なんとも思っていなかった。これでは体内に老廃物が多く溜り病気になっても当たり前だと解りました。

そして先生が「木村さん。ストレスも多かったみたいやなぁ。ストレスがあったら治らんよ。」と言われ、精神的なことまで私の心身を見透かされ、『この先生の言う通りにしとったら間違いない。』と感じました。横で「病院で手術した方が安心じゃないか」と小声で話しかける家内に「おまえはだまっとれ。俺は手術はせん・・・この健康法をやる。」と怒鳴ったのも直観的にこの方法で自分の病気が治ると納得できたからです。

『よし!病院を抜け出そう。』と決めて、早速行動に移しました。次の日は日曜日で病院内は物音も少ない。看護婦さんの少なくなる夜になるのを待って手荷物をまとめ、こっそりと夜逃げするように抜け出し、翌日からはせっせと健康会に通う日々が続きました。

一ヶ月半が過ぎた頃、それでもやっぱりガンが大きくなっているのか小さくなっているのか判らないので、夜逃げした病院にゆくのは足が重かったが、頭を低くしてCTを撮ってもらうことにしました。「木村さん。入って。」という婦長さんの声に、主治医の先生にまづ謝らないといかんと思い・・・

「先生すんませんでした。何も言わんで抜け出して。」と言うと先生は
「良かったなぁ・・・木村さん。切らんで良かった。」と先生が大きな声で言われて、CTの写真を見る前に『これは良くなっているに違いない』と思いました。写真を見てみるとやはりガンが小さくなっていた。

「先生、半分ぐらいになっていますね。」と言うと先生は、
「半分より小さい。三分の一やなぁ。」と言われ安心された様子だった。

『ガンは百パーセント切らな治らん。』と言われた先生に『切らなくて良かった。』と歓んでもらい、ここで私は思いました。『ガンは治る。治せる病気やなぁ。』と。

その後は普段の生活でもこの健康法をしっかり実行し、穏やかな月日が経ちました。そして十月。毎年ある保健所のレントゲン検診の案内がきました。病院でやってるから行く必要はないが、無料で受けられるからと思って保健所に行ったところ、受付の人がびっくりした顔で私の顔を見る。

「まだ生きとるよ。」と冗談を言ったつもりが相手は真剣に「去年あんたと一緒に二度目のレントゲン検査を受けた、二十人前後の人の殆どが亡くなっとるぞ。」と言われ、今言った冗談が笑い話ですまないことに気付きました。一緒に二度目のレントゲン検査を受けた人の中には同じ地区の人もいて、『早くこの健康法を教えてあげれば良かった。』と後悔しました。

それから半年ほど過ぎ、農繁期に入り健康法も少しさぼりぎみで、禁食していた肉や魚も『元気を付けないといかん』と考え、食べるようになったら、どうもガンの方も元気になったようで、病院で診てもらったらやはり前回より少し大きくなっていた。主治医の先生が「木村さん。二ヶ月後にもう一度CTを撮ろうか。これより大きくなっていたら入院せないかんぞ。」と言われ、『これはいかん。』と思いもう一度気を引き締めて健康法の実践に努めました。

そして二ヶ月後、CTの写真を見ると今までに一番小さかった時よりも、まだ小さくなっていて、『この健康法をしっかり守って行っていればガンは消えて無くなる。』とそこで確信を持ちました。今では新しい人にお会いする度に自分の体験を話しています。私も拾われた命ですから、これからも一人でも多くの方が悲しい思いをせずに済むことを願って、少しでもお役に立てればと思っています。

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木村さんの場合、仕事が椎茸づくりということで、年中暗く涼しいところで過ごしていたために、汗をかく機会が無く、皮膚呼吸が悪くなっていた事がまず大きな原因だったと、考えられます。さらに不規則な生活を強いられて、ストレスがたまる一方、食事は肉食が好きで偏った食生活をしていたことなど、病気になる典型的な生活スタイルだったわけですね。しかしこの健康法をはじめてからは日々の生活においても、努めて汗を出すようにされたことや、食事を徹底して改善されたことなどが奏功して効果をあげたのではないかと考えます。風呂に入っても充分に汗を出す。食事も最初の一年間は動物性食品を一切止め、鰹節一切れたりとも食べなかったといいます。びわ温熱法(陽滞性体質の健康法を参考)だけに頼るのではなく、毎日の生活を健康法に専念した努力が、今の健康を導いてくれたのではないかと思います。

ここで皆さんにも参考にしていただきたいことは、ちょっとした意識の改革で、自力で健康をつかむことが可能だということ。病気と健康の境はほんのちょっとの違いにすぎない、ということです。ただそれができるかできないかだけの差だということを感じとってほしいのです。

② 「病気のデパート」(慢性肝炎・糖尿病・高血圧・不整脈・視力低下)
愛知県 みよし市  原田 けいぞう さん 65歳

私は十数年前から病院の検査で、慢性の肝炎と高血圧、不整脈が有ることが判り、方々回ったりいろいろ薬を飲んだりもしましたが、病状は良くなるどころか悪くなる一方でした。体がだるい、根気がない、顔色はどす黒く、少し坂をのぼるにも苦しくて、まるで空気が無くなったのかと思えるほどでした。

知り合いの方からこの長谷部式健康法を教えていただいてからは、運命が変わったとでも言いますか、暗い毎日が希望の持てる人生になったのです。最初に温熱法を受けたときは、どろどろの汗が出たことを覚えています。体の中に酸素が入ってくるのがわかりました。スーと体から病魔が抜けていくような気持ちでした。その後しばらく続けているうちに血圧も下がって安定してきましたし、不整脈も無くなりました。

その頃からです。眼鏡が合わなくなって調べてもらったところ、なんと視力が回復しているのです。目の視力が良くなって眼鏡の度と合わなくなっているとのこと。温熱法の効果が視力にも現れていることに驚きました。体内の毒素を出して酸素の多い体にすることが健康に近づく方法だと体で知りました。

若い頃に肺病を煩ってからは健康に対する不安をいつも背負って生きてきましたが、今の私には健康になる方法を見つけた喜びがあります。ありがたいことだと感謝しています。まだまだ血糖値も高いので運動や食事にも気をつけながら実行したいと思っています。私は病気とは長い付き合いなので、すっかり良くなることはないと思っていますが、ただ言えるのは温熱法をすると調子が良い、しないと調子が悪い、はっきりしていますのでこれだけはこれからも続けたいと思います。知人のNさん、健康会の皆さんに感謝。また一人でも多くこの健康法で良くなればと心からそう思っています。

③ 「人工透析」 長坂 利雄さん

何でも良いから助けてくれー」ワラをもつかむ思いで、やっとたどり着いたのが、一宮にある長谷部式健康会でありました。率直な話、私はここに来て、看板を見て最初はいささか不安に感じたのです。鍼灸マッサージの治療院でもなければ、医院でもないのです。健康法を教育する指導所なのです。「自分の健康は自分の手で創る」そんな理屈を言われても、これまでにどこに行っても、私を相手にしてくれるところはありませんでした。

私は昨年の六月に人工透析を開始して、週に三回、続けておりました。今年の一月にはかかりつけの病院長より、「長坂さんの場合は、ヘマトが十七・八で、血球が二00万に満たない状態で、しかも心臓に水が溜っているので、自分の病院では回復が困難な状況になってきたので、紹介状をかくから、A病院に行ってください」と言われたのです。紹介状をもって、 A病院を訪れると、その病院でも「あなたのようなケースは受け入れできない」と断られてしまい途方にくれておりました。その後、病院長には A病院で断られた旨を話すと、「とにかくもう一週間容体を診て、それから入院をして極度の貧血を治すために、輸血をする」ということでした。紹介された病院でも断られたのですからその他の療法家が受け入れてくれるはずがないと、私は半ばあきらめていたのです。

そんな折りに、長谷部先生とはじめてお会いしたのでした。病気の原因が自分の体質にあって、その体質を改めれば健康体になるという話を聞かされても、まだ私は半信半疑といったところでした。病院でもたらい回しにされたのですから。私は今までの、数々の出来事が脳裏をかすめてきました。妻のこと、子ども達、初孫の笑顔、会社の同僚のことなど、自分の歩んできた人生に悔いはないが、まだやりたいことが山とある私にしてみれば、無念やるかたのない思いでした。そんなことを考えながら、長谷部先生の話を聞いていたのでした。

先生は、体質の判定をするから粉ミルクを飲むように言われました。医師からは水分を微量にしか飲んではいけないと言われていたので、一瞬たじろいでしまいましたが、拒否しようとするが、その声を出す、元気もありません。かたわらについていた、妻が「お父さん、長谷部先生の言うことを聞いたら、大丈夫」と励ましてくれました。仕方なく、少し粉ミルクを口に含むと、何とこれがこの世の飲み物かと思えるほどの美味しさでした。思わず、一00g入りの粉ミルクを飲み干してしまったのです。

長谷部先生より私の体は陽滞性体質であると判定され、びわ温熱法をすることにしました。最初の四、五分くらいは気持ちが良かったが、あとは背中が熱くなってくるので、頭のマッサージをしてもらったりして五十九分が経過しました。背中の熱いことについて、体の血液の流れが悪い部分は特に熱さを強く感じるのだということ。私の場合は腎臓の裏の部分が熱いことになるほど、と思いました。ご承知の通り、人工透析を長く続けている者は小便が全然でなくなります。私の場合も小便が全然でなくなり、しかも尿意をもよおさなくなってしまいました。汗も全然でなくなりました。「この健康法で汗が少しでもでればよいのだが、果たして、出てくれるだろうか」と、望みをもちながら、この健康法を続けました。初回のびわ温熱法が終わったあとは、かすかに楽になったような気持ちもしましたが、とても疲れるので、ソファーに休みました。長谷部先生始めスタッフの皆さんの、はつらつとした元気さと明るさが何よりの救いでした。

食事の指導は、病院の指導とまったく逆に陰性の食品、果物、野菜、びわ茶、粉ミルクなどを摂るようにということでした。第二回、第三回と回数を続けていくうちに、段々と元気になってくるのを、自分でも実感するようになってきました。始めは、黒くくすんでいた顔色に血の気が通うようになり、歩行もあまり疲れなくなって来ました。病院がすすめる高カロリー食品など、我慢して食べようとしても充分入らないのに、長谷部先生の勧める食品は、生命の声が要求しているのか、とても美味しく感じられました。

この指導所での一週間のプログラムを終え、再び病院長との約束どうり貧血の状態を診断してもらったところ、輸血の必要性はなくなっているとのことでした。この状態で行けば、この病院で継続して透析を行えるとのことで、他の病院に行かなくてもよくなりました。院長や看護婦さんは「よく頑張ったね」と励ましてくれました。長谷部式健康会に通っていることは、内緒にしているので、院長や看護婦さんも何で私が良くなってきているのか、まったく皆目見当がつかなく、さぞかし不思議に思われたにちがいありません。

一ヶ月も経過して、自覚症状も嘘のようによくなり、声もハキハキと出るようになり日を追って、体調もよくなってきました。以前は氷を両手にぶら下げていた感じでしたが、その違和感も消え病院長は「仕事に行って良い」という許可を下した程の回復ぶりでした。私は久しぶりに会社に出向き、なつかしの同僚の顔がまぶしいほどに見えました。同僚に言わせると「顔の黒くすすけた色が消え、自分達以上に健康な肌色をしてる」と、喜んでくれました。日増しに元気になる自分が自分自身でも実感でき、生きていてよかったと思う気持ちで一杯です。カリウム検査も私の場合、四以下(四以下は低カリウム、四~五・五許容範囲、五・五以上高カリウムである)になりがちでしたが五と正常値の範囲を保っています。院長の禁止項目の一つである水分、果物を私は結構摂っていますが、カリウム検査は正常で今では安心して長谷部先生の指導にしたがって、生活を楽しめるようになってきました。尿はまだ出てきませんが、尿意を頻繁にもよおすようになり、汗の方もびわ温熱中には出てくるようになりました。ごく当たり前のことですが、汗のでなかった体から汗が出てくる壮快感、そして、その後のびわ茶は最高の味わいです。

「死からの生還」ー私は現在、生きている。何と楽しいことでしょうか。私が、少し大きな声でどなったといっては、妻や子ども達が喜ぶさま。そんな事柄で一喜一憂する、家族の団らん。病を通じて、人間として精神的なつながり、豊かさの大切さを痛感する日々です。長谷部先生始め、スタッフの皆さん、そして、当会を紹介して下さった、磯貝さんに感謝の気持ちで一杯です。私と同じように苦しんでいる透析患者に、この長谷部式健康法をぜひ、学び、体験していただきたいと思い、この文章を書かせていただきました。

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長坂さんは透析患者の中でも重度の部類で、病気の性質上「お先真っ暗」であったのですが、今は体も心も健康はつらつ、透析ははずれてはいないものの、毎日が楽しい生きがいのある人生を送っておられます。仕事に復帰して喜ぶ姿が目に見えてくるようです。休みの日は、旅行など出歩くことが楽しみになっていると、先日電話がありました。同じ病人でも、不幸を絵に書いたような生活と、毎日が楽しく、うきうきした気持ちで過ごせる生活とどちらがよいですか?「健康になる法」とは、病気を治すために七転八倒することではないのです。心身満足のゆく充実した人生を歩むことなのです。本来、からだの六十兆からなる一つ一つの細胞は、いつも健康でありたいと願っているのです。そして自分の意志を次に生まれてくる細胞に受け渡し、全体の命を細胞同士の協力によって継続しているわけです。時間はかかっても、一つ一つの細胞を順に健康にしてゆく健康法こそが、真の健康法だと確信しています。

④ 乳がん-体質変化と縮小の記録- 愛知県 Oさん女性(69才)

Oさんが健康会に最初に来会されたのは平成10年2月初めの寒い日でした。娘さんと二人で相談に来られました。10日後に手術の為の検査入院を予定していたのですが、それまでに少しでも体調がよくなればとのことでした。顔や首筋のくすみが強く、手のひらが熱くて赤い感じ。その他、1:以前は肉食が好きでよく食べていた2:最近大便の臭いが強くなった3:肩凝り、腰が痛む、など明らかに陽滞性体質の特徴的な症状です。

HN温熱法とびわ温熱法を行い、食事は動物性食品をひかえ、野菜、海藻、きのこ、大豆製品などを多く摂り、粉ミルクを飲むように指導。ところが翌日に左側胸部に鈍痛があり、半日寝込んでしまったとの事。その二日後に来会したときは痛みは治まり、手の甲を見ると青黒かった血管の色が少し明るくなる、首の後ろ肩にかけてのくすみが薄くなるなど、確かに見た感じもよくなっていました。好転反応だったのでしょう。そのまた二日後に来会したときは『昨日、黒いツブツブの便が今までの三倍ぐらい出ました。胸のしこりも少なくなっているように感じたので、検査入院を一ヶ月延ばすことにしました』と言われます。この健康法の効果を確信できたのでしょうか、この時にいろいろ自分の体のことについて話されました。過去に心臓肥大と言われて今もあることや、甲状腺の腫れ、手の先の浮腫、股関節から下の左足の歪み、耳鳴りなどいろいろな病気で長年苦しんできたといわれます。

それから一ヶ月後には手術もキャンセル。と言うのも、苦しかった他の症状が次々と軽くなり、うれしいことにお腹の肉が減ってきて昔のスカートがはける様になったり、乳ガンのことよりも他の苦痛に思っていたことが消えてきて、病気であることに煩わしさを感じなくなってきたといいます。

しかし六月に入ってから、風邪気味になり、びわ茶がおいしくなくなったり、以前と体のうったえが変わってきたのです。体質変化に伴い、『手が熱い→熱さを感じなくなる』『びわ茶がおいしい→おいしく感じない』『風邪症状になる=冷えが表面化する』など症状や体の感覚が一緒に変化してきました。温熱法もエキスをびわ葉エキスだけよりもやや陽性なものを加えたり、調整マット法を行ったりしました。当初、週二回行っていた温熱法も月に二~三回で充分になり、後は体質を自分でみながら入浴の仕方などに気を付けます。

10月、病院での検査の結果ではコレステロール値のみがやや高いぐらいで、その他はすべて良好。その後も好、不調の波はあるものの、この健康法で自己管理しながら普通の生活を続けられています。まだガンがすっかり消えたというわけではありませんが、本当に元気になりお仕事にがんばっておられます。病気があっても共存しながら生きていることが楽しい人生をおくってもらいたいと思います。

<スローガン>自分の健康は自分の努力で TEL 0586-46-1258 9:00 - 18:00(日・祝日除く)

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